主犯はどいつだ。

自分史上最大体重になってしまいました。これは、ヤバイ。ヤバイです。顔、丸いです。家族は、ビールが原因だ、と言っていますが、ビールはやせていたころから飲んでいたので、主犯ではありません。いちばんのワルは、どいつか。フリーになってから、歩く距離が減っていることか。もともと、運動はしない人間なので、それも違うか。ラーメン二郎も、最近は自粛ムードだし。年齢から来る消費エネルギーの減少か。うーん、主犯が見つからない。

コピーライター消滅する?

こういうことを書くと仕事がますます来ないよ、という忠告を受けることがありますが、事実を書くことも必要かなと思い、正直に書いてみます。


ここ数か月、仕事があまりありません。これは、死活問題です。フリーになって丸2年。最初から潤沢に仕事があったわけではありませんが、これはヤバイです。ヤバイ。


コピーライターという職業が廃業にむかっているような現状だからなのか、それとも自分自身の問題なのかわかりませんが、なんとなくですが、コピーライターが危険水域に来たんじゃないだろうかと思ったりもしています。


噂ですが、広告関係者なら誰もが知っている有名コピーライターも、ギャラは言い値だそうです。じゃないと、仕事が来ないと嘆いているらしいです。


コピーライターの多くの仕事が、AIで十分やれてしまう現実は現実としてあるわけで。特に通販関係のコピーは、たぶんAIコピーライターのほうが優秀だということは想像できます。悲しい事実ですが、事実は事実です。


通販の世界は、昔からデータ重視ですからね。となると、人間コピーライターは、どこで生き残るのだろうか。わかりません。数人のトップコピーライターは、そのネームバリューでオファーが来ますが。その数人以外のコピーライターは、どうするのか。


問題は、その他のコピーライターです。裾野の狭い仕事は、世の中から消えていきます。富士山が、なぜ美しいのか。なぜ愛され続けているのか。それは、裾野の広さ、その美しさです。今こそ、富士山にならなくっちゃ。


コピーライターという職業の存続がかかっています。限られたコピーライターだけが幸せになっている現状でいいのだろうか。いいわけありませんよね。多くのコピーライターは、廃業寸前です。今頑張らなくて、いつ頑張るんですか。

成りあがるための武器になる

4月開催!

〈解剖!コピーライター講座〉知ればあなたの武器になる!

 

ほんとうは「成りあがり講座」という名前で開催するつもりでしたが、都合により、まずは〈解剖!コピーライター講座〉という名前でやることになりました。広告賞のほとんどの受賞者は、大手広告会社の社員もしくはOBです。これは、仕方がないことでもあります。大手企業の広告の多くは、大手広告会社に発注しています。チャンスがたくさんあります。社員以外に発注するときも、大手OBが優先です。さらに、みんな優秀です。確かに、できる人が多い。上位3社以外の広告会社にも、優秀な人はいますが、チャンスが少ない。だから、結果を出しにくい。多くのコピーライターは、そんな状況の中で、がんばっています。あきらめてはいけません。ちゃんすは少ないですが、必ずやってきます。その時を、逃さないでください。賞を、とりましょう。賞は、手段になります。賞をもらって、楽しく成りあがりましょう!

 

コピーライターとはどんな人間か?知れば生きていくヒントにもなるはずです。

fellow-s.co.jp/academy/semina…
fellow-s.co.jp/academy/semina…

成りあがり講座

コピーライター成りあがり講座、始めます。実は成りあがりという言葉が講座主催者に受け入れられず、講座をあきらめようかと思いましたが、それなら個人でと思い直し、開くことにしました。どんな形でやれるか思案中です。出張型?とにかく、いま多くの賞の受賞者は電通など大手ばかりです。確かに優秀です。だからこそ、あなたは結果を出しましょう。成りあがりましょう。私は転職4社目でTCC新人賞をもらいました。もっと成りあがりたかった。みなさん、成りあがってください。そのお手伝いを全力でします。興味のある方は、ぜひご連絡ください。

独立記念日。

きょう3月1日は、事務所の独立記念日です。今まで、なんとかやってこられたのも、みなさんのおかげです。ほんとうに、ありがとうございます。こころから、感謝しています。最近は、コピーライターの未来をまいにち考えています。その未来は、私の未来です。フリーのコピーライターにとっては、なかなか厳しい時代です。コピーのことを、テキストと言われてしまいます。コピーライターは、絶滅危惧種と言われています。というか、若者は、コピーライターという職業に興味がありません。というか、知りません。特別天然記念物らしいです。大手広告代理店にだけ生息する珍しいいきものと思っているらしいです。コピーライターの集団であるTCC東京コピーライターズクラブも、絶滅危惧種特別天然記念物の集まりだと思われています。確かに会員の半数以上は、大手広告代理店の人です。そう思われても仕方がありませんね。コピーライターはもっと危機感を持たなければなりません。大手にいるコピーライターは、その危機感がなかなかわからないです。私も、独立するまでそうでした。このままだと、コピーライターになりたいという若者はいなくなります。ということは、コピーライターという仕事が消えるということです。それでいいんでしょうか。いいはずありません。有名コピーライターは、コピーライター廃業宣言をしました。そうです。彼にたよりすぎていたのです。これからは、コピーライターひとりひとりが自分の未来として、コピーライターの未来を考えて行動するときです。みなさんの助けが必要です。これからも助けてください。私もみなさまのために頑張ります。

大井町東小路まんぷく食堂

大井町には駅の目の前に路地があります。東小路。人が二人で並びながらは歩けません。せまいです。ここに通いだして30年。いろんな思い出があります。まんぷく食堂というお店があります。カウンターだけでして。全部で11席。小さなお店です。むかしは、マスターとパートのおばちゃん二人でやっていましたが、今は、息子さん二人が中に入っていて、奥さんと家族4人でやってます。息子さん二人がちびっこだった頃から通っているので、その子たちが、頑張っているのが、なんだかこそばゆいです。この店は、お刺身がおいしくて。いまだに、お刺身だけは、むすこさんたちには任せないで、マスターの担当です。きょうは、鯵刺しが、うまかったなぁ。いろいろ、わがままをきいてくれるお店なので、家で食べる感じがいいんですよね。目玉焼きは、キャベツとマヨネーズが添えられていて、酒のアテとしてお気に入りです。焼魚もあります。秋刀魚のシーズンには、ぷりぷりのを焼いてくれて、炊きたての白いごはんとわしわしと食べる。うまいのなんのって。家でなかなか焼魚ができないので。

父のカレー

子供のころの話です。私が小学生の低学年。そのころ、母は、喘息で、病弱でした。寝込むことは、あまりありませんでしたが、軽い発作はときどき起こしていました。

 

その日の夕方も、いつものような発作だと思っていました。でも、様子が、違いました。毎晩遅くまで仕事の父が、すぐに帰ってきました。父は、付き添いで、母と病院へ。私は、姉と家で留守番です。母の病気への不安、親がいないという不安、夜という不安。その不安たちと戦うためにテレビを見つづけました。父が、帰ってきました。母さんは、大丈夫。ただ、念のため、今夜は入院だ。ほっとして、でも、帰ってこないのが、さみしくて。でも、じつは、おなかが、へっていて。でも、言えなくて。それを、察したのか、父は台所に立ちました。

 

普段は料理をしない父が、もくもくと料理をはじめました。しばらくすると、何をつくっているのか、私にもわかりました。そうなんです、カレーです。炊きたての白いごはんが、うれしかった。カレーライスを食べながら、いつのまにか不安は消えていました。人生のなかで、父が作ってくれた料理は、このときのカレーだけです。どんなカレーかといえば、牛すじカレーです。なぜ父は、このカレーを作ったのか、作れたのかは、わかりません。亡くなったいまでは、聞くこともできません。ただ、ものすごくおいしいカレーだったことだけは確かです。あの、牛すじカレーを、もう一度、食べたいです。


カレーについて知りたいことは、ほぼ検索するとわかってしまいます。わからないことといえば、個人の好みでしょうか。怒られるかもしれませんが、天皇陛下は、カレーをお好きなんでしょうか。好きだとしたら、どんなカレーがお好きなんでしょうか。知りたいです。