独立記念日。

きょう3月1日は、事務所の独立記念日です。今まで、なんとかやってこられたのも、みなさんのおかげです。ほんとうに、ありがとうございます。こころから、感謝しています。最近は、コピーライターの未来をまいにち考えています。その未来は、私の未来です。フリーのコピーライターにとっては、なかなか厳しい時代です。コピーのことを、テキストと言われてしまいます。コピーライターは、絶滅危惧種と言われています。というか、若者は、コピーライターという職業に興味がありません。というか、知りません。特別天然記念物らしいです。大手広告代理店にだけ生息する珍しいいきものと思っているらしいです。コピーライターの集団であるTCC東京コピーライターズクラブも、絶滅危惧種特別天然記念物の集まりだと思われています。確かに会員の半数以上は、大手広告代理店の人です。そう思われても仕方がありませんね。コピーライターはもっと危機感を持たなければなりません。大手にいるコピーライターは、その危機感がなかなかわからないです。私も、独立するまでそうでした。このままだと、コピーライターになりたいという若者はいなくなります。ということは、コピーライターという仕事が消えるということです。それでいいんでしょうか。いいはずありません。有名コピーライターは、コピーライター廃業宣言をしました。そうです。彼にたよりすぎていたのです。これからは、コピーライターひとりひとりが自分の未来として、コピーライターの未来を考えて行動するときです。みなさんの助けが必要です。これからも助けてください。私もみなさまのために頑張ります。

大井町東小路まんぷく食堂

大井町には駅の目の前に路地があります。東小路。人が二人で並びながらは歩けません。せまいです。ここに通いだして30年。いろんな思い出があります。まんぷく食堂というお店があります。カウンターだけでして。全部で11席。小さなお店です。むかしは、マスターとパートのおばちゃん二人でやっていましたが、今は、息子さん二人が中に入っていて、奥さんと家族4人でやってます。息子さん二人がちびっこだった頃から通っているので、その子たちが、頑張っているのが、なんだかこそばゆいです。この店は、お刺身がおいしくて。いまだに、お刺身だけは、むすこさんたちには任せないで、マスターの担当です。きょうは、鯵刺しが、うまかったなぁ。いろいろ、わがままをきいてくれるお店なので、家で食べる感じがいいんですよね。目玉焼きは、キャベツとマヨネーズが添えられていて、酒のアテとしてお気に入りです。焼魚もあります。秋刀魚のシーズンには、ぷりぷりのを焼いてくれて、炊きたての白いごはんとわしわしと食べる。うまいのなんのって。家でなかなか焼魚ができないので。

父のカレー

子供のころの話です。私が小学生の低学年。そのころ、母は、喘息で、病弱でした。寝込むことは、あまりありませんでしたが、軽い発作はときどき起こしていました。

 

その日の夕方も、いつものような発作だと思っていました。でも、様子が、違いました。毎晩遅くまで仕事の父が、すぐに帰ってきました。父は、付き添いで、母と病院へ。私は、姉と家で留守番です。母の病気への不安、親がいないという不安、夜という不安。その不安たちと戦うためにテレビを見つづけました。父が、帰ってきました。母さんは、大丈夫。ただ、念のため、今夜は入院だ。ほっとして、でも、帰ってこないのが、さみしくて。でも、じつは、おなかが、へっていて。でも、言えなくて。それを、察したのか、父は台所に立ちました。

 

普段は料理をしない父が、もくもくと料理をはじめました。しばらくすると、何をつくっているのか、私にもわかりました。そうなんです、カレーです。炊きたての白いごはんが、うれしかった。カレーライスを食べながら、いつのまにか不安は消えていました。人生のなかで、父が作ってくれた料理は、このときのカレーだけです。どんなカレーかといえば、牛すじカレーです。なぜ父は、このカレーを作ったのか、作れたのかは、わかりません。亡くなったいまでは、聞くこともできません。ただ、ものすごくおいしいカレーだったことだけは確かです。あの、牛すじカレーを、もう一度、食べたいです。


カレーについて知りたいことは、ほぼ検索するとわかってしまいます。わからないことといえば、個人の好みでしょうか。怒られるかもしれませんが、天皇陛下は、カレーをお好きなんでしょうか。好きだとしたら、どんなカレーがお好きなんでしょうか。知りたいです。

 

 

反抗期がなかった男。

   兄妹は姉が1人、弟が1人います。小学校の4年生までは友だちは全くいなくて、5年生になって、少し友だちができました。元々友だちはあまり多くなくて、休み時間も、校庭で遊ぶこともせず、教室でじっとしているようなおとなしい子どもでした。2つ上の姉は勉強も体育も絵も得意で、何をやっても敵わなかったので、逆らうなどありえません。ただ僕が電車の絵を書くと母がとてもうれしそうで、それがうれしくて、物を作ることが好きになりました。


 何となく鉄道はいいなあ絵はいいなあという気持ちはありましたが、すごく主体性のない子どもだったので、そんな気持ちをあまり出すことはありませんでした。夢らしい夢がなかったので、「将来の夢」という作文を書かされることも嫌でした。小学校で将来を語るのってどうなんでしょうか。日本代表になるような人たちは、小学校のときから具体的な夢を作文に書いたりしていますが、当時は将来の夢がない自分はいけないのかなと思っていました。


 将来の夢を持っている友だちがまぶしくて。大きな夢がある友だちがうらやましくて。夢のない自分はよくないという思いはずっとありました。コドモゴコロに、いつかは決めなくてはいけないけれど、自分に自信がなかったので、わかりませんでした。中学生になっても、それは変わりませんでした。


 高校受験の時も、姉はその地域で1番の進学校へ行っていたので、もちろんそこは無理だったので、偏差値を見て、そこなら行けるんじゃないかと言われたからそこに行く、という感じでした。願書を出しに行く日までその高校のこと、場所ぐらいしか知りませんでした。


 落ちこぼれるでもなく、問題を起こすでもない。影の薄い子どもだったと思います。親を困らせることはほぼしませんでした。反抗期がなかったんです。
 小中と反抗期がない。決定的な反抗期はありませんでした。これはまずいだろうと自分でも感じていました。自分のなかで反抗する理由がないんです。ただ、高校生のときは、同級生とのつきあい上、ちょっと悪いこともしましたが、反抗する気持ちからではありませんでした。でも、そのうちとんでもないことになるんじゃないかと、恐かったことは覚えています。


   少し変わりだしたのは、高校からでした。私が高校生だったころの母校新宿高校の通学路には、ラブホはあるは、ソープはあるはで、とてもふつうの16才や17才が歩いていい道ではありませんでした。いまその道は髙島屋の前のおしゃれな道となりましたが…笑


    朝、早く学校へ行くときには、通学路でいろんな大人の朝帰りに会いました。よくソープのおねえさんが、ちゃんと勉強するんだよ、と2階の窓から励ましてくれたりしたこともありました。住宅街の中学から来た私にとっては、日本一ぐちゃぐちゃの街にある高校での体験は、びっくりすることばかり。

 

   新宿駅南口を出て学校へ行くのですが、大きな階段を下りたら、学校は右へ、左は紀伊国屋書店への道。よく僕は左へ。僕らは勝手に、新宿高校通りと呼んでいたその道は、雀荘、エロ映画館、パチンコ屋、ピンサロ、いかがわしい飲み屋など、かなり刺激的。

 

   そのころの新宿駅南口は、いまのような健康的な場所ではなく、東口とか西口とかのようなメジャーでもなく、ただひっそりと裏出口のような存在で、朝鮮高校と国士舘高校がガチでタイマンはっていた所でもあって、夜になるといろんな職種の方々が立っていらっしゃいました。

 

   新宿駅から徒歩4分ほどにある学校の場所が場所だけに、ほんとにヤバくて面白かった。愛すべきダメなおじさんたちから、いろいろ教えてもらった。勉強はしすぎると、バカになるぞ。そう教えてくれた前歯が全部無いゲンさん。酒は生きてくためのツマミだ。とヘロヘロで教えてくれた三郎さん。人間は、バカで、ダメで、でもカワイイいきものなんだと、高校生のときに教えてもらったのでした。

 

  日本一の缶蹴り遊びもしたなあ。新宿高校は、低い塀を隔てて新宿御苑と隣り合わせです。御苑は、天皇陛下や首相がお花見などでいらっしゃる由緒正しきところ。江戸時代は信濃高遠藩内藤家の下屋敷。だから住所は内藤町新宿高校は大正時代に新宿御苑から土地を譲ってもらって開校したという歴史があって、なにかと縁があるわけなのですね。

 

   その御苑は、たしか環境省の管轄。だからかなのか午後4時半に閉まるのですが、夏だとまだまだ明るい。5時には人がいなくなり、緑だらけの森になります。高校生の僕らにとっては、でっかい遊び場。先輩から続いている名物塀の乗り越え。新宿御苑ぜんぶを使った缶けりの始まりです。見回りのおじさんにみつからないように。たまに見つかり本気の鬼ごっこもやりましたが、缶蹴りの鬼になったら地獄です。あの広くて木々の深い新宿の森の中に隠れられたら、簡単には見つかりません。鬼を置いて学校にみんなで帰ることも。日本一の缶蹴り遊び、いや世界一の缶蹴り遊び。大人たちには見つかれば叱られたでしょうが、僕らにとっては、バカバカしくて、くだらなくて、めちゃくちゃ楽しかった。

 

   学校のとなりの新宿御苑だけじゃなく、神宮外苑の国立競技場も近くて、意外と緑いっぱいの環境でもあったのですが、あの新宿二丁目もとなりなわけで、緑とピンクが隣り合わせ(笑)。

 

   歌舞伎町やゴールデン街も歩いて3、4分。 土曜日にお世話になっていた場外馬券売場、お昼を買いに行った伊勢丹、授業をサボって映画館、テストの打上げでお世話になった中華の石の屋も、学校からすぐでしたから、なかなかドキドキの高校生活でした。毎日小さいことから大きい出来事まであった3年間。大人にほめられることは、ぜんぜんなかったけど、そのことをこれから書いて残しておけば、貴重な新宿の資料になるかなぁ。ならないか。そりゃそうだ(笑)

ローカル線の未来。

ローカル線が消える町に、
しあわせはくるのかね、


ぜったいに、きません。


それは、みなさん、
ほとんど、わかっているとは思います。


ローカル線は、演歌だ。


日本から演歌がぜったいに消えないように、
ローカル線も消えてはいけないのです。

ロックもジャズも、
わかってるような、わかってないような。
そんな人が多いと思いますが、
演歌はわかるとかわからないとかではなく、
日本人なら心地よいはずなんです。


理屈ではなく。ローカル線も同じです。


車窓から見える風景は、
日本人の心をくすぐるんです。

踏切だって、
カンカンカンカンの音は、
演歌の旋律です。

しかし、ローカル線だけの移動手段では
生活が成り立たないのも現実です。
都会の人にはわからない。
クルマがどれだけ必要かが。

ローカル線は、
1時間に1本走っていればいいほうです。

すごい線になると、
朝2本、夕方1本、以上!もあります。


買物、どうします?


急用ができたら、どうします?

 

クルマ、必要なんです。

だから、地元の人に、
あなたたちが乗らないからだめなんだ!
というのは、だめなんです。

その考え方だと、何にも解決できません。


クルマに乗ってても、
ローカル線が存続できる仕組みを
作らないといけません。


関東にも、
廃止を噂されているローカル線は
いろいろあります。

このまま時間が流れていけば、
消えてしまうはずです。


地元の方々は、廃止反対がほとんどでしょう。


だって、
日本人の深層心理風景には
鉄道があるからです。


山があり、田畑があり、
町があり、川があり、海があり、
鉄道がある。


これが、日本人が思い描く日本の風景ですから。


そのなかの、鉄道がなくなることは、
日本人の心情的にだめなのです。


しかし、現実をみると、
鉄道での移動はほとんどないのです、
ローカル線の地元では。

クルマがなければ、生きていけません。


鉄道を利用しているのは、
クルマの免許のない高校生とお年寄りと、
鉄道マニアだけです。


乗客の払う運賃だけでは、
ローカル線は運営できないのです。

だからといって、地元の人に、

乗りましょう!運動をしても、
それはむりです。


だったら、ローカル線を、
「実家」だと、思おう。


何を言っているか
わからないかも知れませんが。

「実家」は、
ちょっと面倒くさいです。

自分のルーツの通過点が実家にはある。

ある時期、実家にはよりつかなくなる。

父がいて、母がいて。
もしかしたら、
おじいちゃんがいて、おばあちゃんがいて。

近すぎる関係がわずらわしく感じてしまう。

距離をとりたくなる。
きらいなわけじゃない。

でも、うとましい。

電話をすればいいのに、しない。
忙しかったと、自分にもいいわけする。
電話をかけられないほど忙しいことなんて、
この世にはない。

しかし、実家は、年をとる。

老いる。

切なさがこみあげてくる。

泣きそうになる。

いや、泣く。
ぜったいに、泣くね。

抱きしめたくなる気持ち。

顔を見せに、顔を見に。

実家ってそうだ。

ローカル線は、
実家の父であり母であると
思ってみる。

行かないわけにはいかない。
帰らないわけにはいかない。

自分が行かなくなったら、
自分が帰らなくなったら、

だから行く。だから帰ろう。

ローカル線も、そうだ。

 

ローカル線が存続できる仕組みを
作らないといけない。

むずかしいかもしれないけど、

考えなきゃ。動かなきゃ。
そんなに時間はありません。


花岡邦彦
hanaokakunihiko@icloud.com
twitter.com/kunihanaoka

三田本店がいい。

ラーメン二郎


1.清く正しく美しく、散歩に読書にニコニコ貯金、
 週末は釣り、ゴルフ、写経
2.世のため人のため社会のため
3.Love&Peace&Togetherness
4.ごめんなさい、ひとこと言えるその勇気
5.味の乱れは心の乱れ、心の乱れは家庭の乱れ、
 家庭の乱れは社会の乱れ、社会の乱れは国の乱れ、
 国の乱れは宇宙の乱れ
6.ニンニク入れますか?

これ、ラーメン二郎三田本店の社訓です。


私、ラーメン二郎が、大好きでして。

いままでリレーコラムで書いている方が
たぶん、いらっしゃらなかったので、
ちょっと、書いてみようかと。

はっきり言って、長い文です。
何文字書くかわかりません。
仕事でもないのに、です。
そのへん、ご了承ください。

 


ラーメン二郎の名前、
近頃は、テレビでも
ちょこちょこと出てくるので、
一度は聞いたこと、
あるんじゃないでしょうか。

関東では有名なラーメンです。


関東以外だと、札幌、会津、新潟、仙台。

最近では、京都に支店ができたので、
関西でも食べられるようになりましたが。

 

「二郎はラーメンではなく、二郎という食べもの」

こんな格言みたいな言われ方もしたりしてまして。

かなり独特な世界を作り上げてきたので、
逆に、それがヘンな都市伝説的な話になり、
ちょっと興味があっても、二の足を踏んでいる人、
多いんじゃないでしょうか。


今、全国に約40の支店があるラーメン二郎
けっこう、あるんです。ま、ほぼ、関東ですが。

その総本山「ラーメン二郎三田本店」に
大学時代から、私、通っています。

そんな私が誰でも気軽に二郎に行けるために
少しでもお役に立てればと思いまして、
あれこれお話ししたいと思います。

コピーライターに興味がある人が多く読む、
ここで書くことかどうか考えましたが、
ま、いいかと。

 

まず、ラーメン二郎は、おいしいのか?


私には、おいしいです。


でも、
みなさんが、おいしいと
思うかどうかはわかりません。

3回行けば、クセになりますが。

 

初めてラーメン二郎に行くなら、
だんぜん三田本店をおすすします。


40支店をはじめ、
むかしは二郎の看板を掲げていましたが、
今は、二郎の看板を外している旧二郎や
インスパイア系の店を含めると、
全国で楽しめるようになった二郎系ですが。

一般的なチェーン店とは違って、
支店でもその店主にある程度の自由度は許されていて、
個性あふれるその世界に
ダメージを受けることもあったりします。

ですから、
ラーメン二郎が誕生した
三田本店をまず経験しておけば、
気持ち的にもゆとりが生まれ、
あとは応用問題だと感じるはずです。

何事も、基本を大切にしておけば、こわくはありません。

そうです。
忘れてはいけないのは、
ただ1杯のラーメンを食べに行くだけです。
特別なことをするわけではないんです。

 

ここで、ラーメン二郎の歴史について、ちょっと。

1968年(昭和43年)に
都立大学駅近くで創業したそうです。

なぜ「ラーメン二郎」という名前が
生まれたのかというと、
そのころ人気だったインスタントラーメン
「ラーメン太郎」にちなんで
「ラーメン次郎」の名前で開店したそうです。

そうなんです。
最初は、「次郎」だったんです。

でもですね、ペンキ屋さんが看板をつくるときに
「二郎」と書いてしまったことから、
ま、それでいいや、となって
以降、そのまま「二郎」で通しているらしいです。

ちなみに、参考までに、
ミシュラン三ツ星で有名な
鮨の銀座「すきやばし次郎
店主のお名前は「小野二郎」さんです。

ラーメン二郎の創業者。
三田本店店主、通称オヤジさんは、
「山田拓美」さんです。


ラーメン二郎を有名にしたのは、
呪文と呼ばれる独特の注文方法でしょうかね。
無料トッピングをお願いする


「ヤサイマシマシカラメニンニク」
「ヤサイカラカラアブラマシマシニンニク」


これです。


あとは、強烈なボリュームとそのジャンク性。
ガッツリ系ラーメンの代表的存在感でしょうか。

 

三田本店は、どこにあるのか?

東京は港区慶応義塾大学
三田キャンパススのすぐ近くにあります。

三田は「みた」です。
「さんだ」ではありません。


関西の神戸電鉄には
三田(さんだ)駅の5つ前に
二郎(にろう)駅があります。

車内モニターに

「普通三田ゆき
 次は二郎です」

と掲示されることがありますよ。


慶応の正門を背にして右手
約100mほどのところに三田本店はあります。

営業時間は、8:30ごろから、
14:00から15:00の間ぐらいまで。
夜は17:00ごろから20:00ごろまででしょうか。
これは、あくまで、目安でして、
きっちり決まっているわけじゃないです。

土曜日もやっていますが、
これは平日の比ではないほどの
長い行列が発生するので、
私は、もっぱら、平日です。

開店前から行列ははじまります。
これを、シャッター二郎といいます。

先頭の人は、PP、ポールポジションと呼ばれます。

普通のサラリーマンでも
出社前に二郎を食べてから出社することはできます。

 

あとで、話をしますが、
本店は、ラーメンの量を
お好みに削ることができます。

麺半分や麺1/3とか。

ですから、朝から、
食えないなぁという人は、
麺を減らして食べていらっしゃいます。
朝ラーですね。


朝二郎です。


ただし、ニンニク問題は、
避けることができないので。
このへんは、
悩ましいとこなんじゃないでしょうか。

 


三田本店のビルは、
特殊なフォルムをしています、
三角柱といいますか。
ケーキを切り分けたときのフォルムといいますか。

ニューヨークに同じような
有名な古いビルがあったような…

慶応から遠いほうの入口が正面です。
そこから慶応側にむかって並びます。

行列が長くなってきてビルの端、
船で言えば舳先の部分に到達したら、
その舳先にそって裏口方向へ折り曲がって並びます。


裏口までの行列で、
約1時間以上の待ち時間となりますね。

夏は、熱射に苦しめられ、
冬は極寒に耐えねばなりません。

冬の雨の日は、震えが止まらなくなります。
でも、その厳しい自然環境のおかげで、
行列は、短めになるので狙い目かも。


メニューは6種類。
6種類といってもラーメンは1種類です。

あくまでラーメンの量とぶたの量の違いだけです。


二郎では、チャーシューとは言わず


「ぶた」といいます。

 

   変わらぬ豚への愛。

 

実物を見れば、これはチャーシューじゃないな、
確かに、ぶた、だ! と実感するはずです。


ラーメン
600円 一般ラーメンの麺2倍以上 
通称「小(しょう)」ぶた2個

ぶた入りラーメン
700円 通称「小(しょう)ぶた」ぶた5個入り

ぶたダブルラーメン
800円 通称「小ぶたダブル」ぶた10個入り

大ラーメン
650円 一般ラーメンの麺3倍以上 
通称「大(だい)」ぶた5個入り

ぶた入り大ラーメン
750円 通称「大ぶた」ぶた5個入り

ぶたダブル大ラーメン
850円 通称「大ぶたダブル」ぶた10個入り


初めての人は、小を頼みましょう。
しかも、麺少なめで試すのが無難です。


麺の量を確認するために
助手の方が行列の先頭グループに
厨房から尋ねる場合があります。


「食券見せてくださーい!」
「大きさだけ教えてくださーい!」

そのときは、自分が小なら

「小!」

麺半分にしたかったら

「小!麺半分で!」

麺の硬さもこのとき

「麺固め!」
「麺やわらかめ!」

と少し大きめの声でこたえてください。


食券だけ見せてください、と言われても、
見せながら「小!」とこたえたほうが、
おたがい気持ちがいいと思います。


ここで注意することは、
このときは量だけいいます。

「小!ヤサイマシマシカラメニンニク!」

とドヤ顔で言ってしまう人がいることです。

 

間違いは誰にでもあります。
ただ初心者と思われたくない一心で
知ったかをしてしまう気持ちがそうさせるでしょうが、
そんな気持ちはいりません。
知らないことは、知らないでいいのです。
初心者、ぜんぜんいいんです。


ネットなどで事前勉強してきた人に
多いケースですが、
やはり現場で学ぶことは大切です。
ミスしながら、成長しればいいのです。
よく思われたいと思うほど、成長を邪魔します。

コピーの世界も同じですが、
先輩の背中を見て学ぶこころが大切です。

 

さあ、いよいよ、席があき、
自分の番になりました。


助手の方が

「次の方、どうぞー!」

と言ってくれたら、空いている席に座りましょう。

食券はカウンターの上に。

 

お水がカウンターに置かれますので、
グラスは自分の前に下ろしましょう。

この水は、ラーメン二郎本店の魔法の水です。

地下伝説として、お店の真下の
地下水との噂もありましたが、
正真正銘の東京都水道局のおいしい水です。

 

あとは、出来上がるまで、待つだけです。

スマホをずっといじっている人がいますが、
このときだけは、静かにラーメンをつくる
オヤジさんの姿を見ませんか。

オヤジさんが常連さんと、ときにはお弟子さんと、
ガハハガハハと話をしている声をBGMにしながら、
厨房の中をのぞいて待つのもいいものです。

 

さあ、いよいよ、です。
もうすぐ出来上がります。

いっぺんに5人分作っています。
5人、順番に出してくれます。

自分の分になったら、助手の方が、
こちらに目をあわせながら手でさしてくれます。

ここが、難関だと、思われています。

いろんな方が、呪文だ!なんて言ってますから、
そういうイメージになってしまっているのでしょう。

心配ないです。大丈夫です。


「ヤサイマシマシカラメニンニク」
「ヤサイカラカラアブラマシマシニンニク」


こんなこと、言わなくていいです。

 

「ニンニク入れますか?」


と助手の方が問いかけてくれますから。


もちろん、呪文を楽しんでもいいですが、


「野菜とアブラ、お願いします」


これでいいのです。

 

ニンニクだけ入れたいなら
「ニンニク入れますか?」
この問いに、

「ハイ」
「ナシで」

これだけで、いいんです。


ニンニクは、
生の刻みニンニクです。

「ニンニク少なめで!」

とコールしても、
オヤジさんの感覚なので、

「こんなに!」

となる場合もよくあります。
そのへんは覚悟していたほうがいいですね。


朝二郎して出社した場合には、
確実に社内環境を悪くします。
プレゼンがある日には、
避けた方が、あなたのためです。
二郎で、人生を、棒に降る必要はありませんから。

 

野菜は通常でもけっこう多いです。
ほぼ8割モヤシ、2割キャベツです。

さらに「ヤサイ!」とコールしてもしなくても、
本店の場合は、あまり関係ない気がします。

ただ、支店では、
すごい野菜の姿になる店もあります。

 

じっさいに見たのですが、
品川店でですが、


「カラメアブラニンニクヤサイフジサン!」


そう「野菜、富士山」です。

出てきた姿は、確かに「富士山」でした。
ただ、その後、大事故が起きたことも記しておきます。

 

「カラメ」

これは、唐辛子系の辛さではなく、
カエシの塩からさです。

以前は、カラメをお願いしていましたが、
今は、そのままにしています。

 

「アブラ」

背脂チャチャチャが流行りですが、
二郎の場合は、漉したりせずに、
脂のかたまりがやってきます。
個体の脂です。

健康診断でひっかかっている人や、
もともと心臓に問題がある方は、
おやめになったほうがいいかと思います。
ただ、かなり、これは、
うまいことだけは言っておきます。
私は、我慢していますが。


さあ、いよいよ、いただきます!です。


ラーメンはカウンターの上に置かれます。

ゆっくりと、丁寧に、慎重に、
テーブルに下ろしましょう

決して、座ったまま、
手だけで下ろそうとしないでください。
下半身を使いながら、軽いスクワット状態で、
全身を集中させてください。

丼の側面には、アブラが付着しています。


スベリます。


大事故につながります。
大切なのは、下半身です。

 

推定カロリー2000kcal以上。


朝二郎をすれば、その日は、
もう食べなくても大丈夫なカロリーです。
かえって、朝二郎で、痩せた!二郎ダイエットだ!
という人もいるらしいですが、しっかり、太ります。


食べ始めたら、あとは、ひたすらゴールをめざします。


一度食べてイヤになるか、病みつきになるか。


そのどちらかしかない。

スープは飲まなくてもいいです。
決して無理はしないでください。

食べ終わったら、
丼とグラスをカウンターに戻し、
カウンターに置いてあるフキンで
テーブルをきれいにしましょう。

あとは


「ごちそーさまでした!」


店を出たとき、また来たいと思うかどうか。

 

まだ二郎未体験で、興味を持たれ、
行きたいなぁと思ったらご連絡ください。
私でよかったら、ご一緒させていただきます。

長文、失礼しました。

 

ああ、ラーメン二郎が食べたくなってきた。


花岡邦彦
hanaokakunihiko@icloud.com
twiter.com/kunihanaoka

たいへんです。

大雪です。


東京が雪国になりました。


2018年1月22日月曜日。
東京はお昼過ぎから雪が降り出しました。


記録的にも、記憶的にも、
まずは、大雪の話をしないわけにはいきません。


東京は、雪に弱い。


確かにそうだと思います。

私が大好きな鉄道も、
東京の鉄道は、弱いです。


みなさん、無事に帰宅されましたか。

私も、きょうは、1時間ほど早く、家を出まして、
用事が済みしだい、すぐに帰ってきました。

早く帰ればいいのに、こういう日に、
飲みたくなる人種もいるわけでして、
私も、どちらかというと、そっちの人ですが、
きょうは、このコラムを書かねばならないので、
すぐに帰ってきたというわけです。

 

現在、21時50分。
雪はますます強まっています。
まだまだ止む気配はありません。

鉄道は徐行運転です。
ダイヤは乱れています。
が、動いています。


さすが、鉄道!

と書いていたら、
けっこう、止まったり、入場規制していたりで、
さすが!とはいえないみたいですね。

 


このへんで、別の話を。
かなり、昔の話です。

 


  おねがい。
  耳たぶを刺さないで。


  それに、まぶたも、くちびるも、えりあしも、
  ひとさし指となか指の間も、胸の先っぽも、
  おへそも、お尻も、ふとももも、かかとも、
  おねがいだから刺さないで。
  特にかゆいの。ここ刺されると。

  虫よけ スキンガード

 

このコピー、私が初めてコピー年鑑に載ったコピーです。

うれしかった。でも、くやしかった。
真逆の気持ちが入りまじったコピーです。


なぜか。

この年、私は、新人賞をとれませんでした。

けっこう、期待していましたが、
ノミネートにも入りませんでした。

なのに、一般部門に応募した


おねがい。
耳たぶを刺さないで。


このコピーが掲載されました。


もし、このコピーを新人賞に応募していたら…
つい、そう思ってしまったのです。そのときは。


今は、もちろん、
そんなことはわからん、と思えますが。
新人賞が欲しかった人間としては、
ついついそんなことを考えてしまったのです。

 

それから3年後。
私は新人賞に引っかかりました。
まさに引っかかったという感じです。

うれしかった。

しかし、そのとき思ったのは、
3年前に、あのコピーを応募して、
新人賞をもらえていたら、
僕はどうなっていたんだろう、
ということなんですね。


なんて後ろ向きなんでしょう。


こどものころから、後ろ向き、
そういう考えをしがちなこどもでした。


クラスにいる前向きな子が苦手でした。


今でも、基本的には、そうです。


長く大人をやってきているので、
前向きな人間になることはできます。
2時間ぐらいは。


それ以上になると、
後ろ向きな自分が出てきます。


長い打合せが苦手なのは、
そういう自分が出てくるからです。


仕事的には、
あまりよろしくないと思われます。


私をすこしだけ知っている多くの人は、
私のことを、よくしゃべり、よく笑い、
明るい人間だと思っているかも知れません。

1回しか会っていない人は。

 

私は、鉄道マニア、いわゆる鉄です。
しかも、乗り鉄です。

明るいわけがありません。


タモリさんと同じです。
あの方も、クライ。
根は、クライ。

明るい人間が
タモリ倶楽部のような番組を、
何十年も続けられるわけがありません。

地層が好きなわけがありません。

 

私もタモリさんと同じく

鉄道が好きです。

時刻表が好きです。

地図が好きです。

散歩が好きです。

高低差が好きです。


すべて、ひとりで楽しむ世界です。

そんな人間が、
明るいわけがありません。


だから、コピーライターをやってます。


この流れで打ち明けますと

私の夢は、
タモリ倶楽部に出ることなんです。

鉄道の回に出たいんです。

くるりの岸田くん、ダーリンハニーの吉川くん、
ホリプロ南田マネージャー、そして私とタモリさん。
仕切りは、ガダルカナルタカさん。

いいなぁ。

テレビ朝日
強いコネをお持ちの方がいらっしゃいましたら、
ぜひネジこんでいただけないでしょうか。

 


世間からは、
コピーライターは
社交的と思われるがちですが、
そんなこたーありません。

ひとりで、ウジウジ考えるのが好きな人種です。
まちがいありません。

 

夜中に、コピーを書いていて、
いいコピーが書けたら、きっと、
ふふふとひとりで笑っているはずです。

 

ブキミです。

 

翌日、そのコピーを見て、
こんどは、
ひとりで、落ち込んでいるはずです。

 

クライです。

 

そのくりかえしを、
毎日、何十年も続けている人間が、
前向きな人間のはずがありません。
明るいわけがありません。


でも、
それで、いいんだと思います。


そういう人間が必要とされている職業なんです。
コピーライターという職業は。


明るい人間ばかりの社会なんて、
気持ちわるいじゃないですか。

 

 

予定していた話ではないことを
書いてしまいました。

テレビは、大雪のニュースを伝えています。

明日は明日で
大雪の影響が続くようです。

このコラムも、
個人的に雪の影響を受けて
アップするのがこんな時間になってしまいました。
ごめんなさい。

みなさん、明日も、
時間には、余裕をもって行動しましょうね。

 


花岡邦彦
hanaokakunihiko@icloud.com
twitter.com/kunihanaoka