センター試験は、なぜ雪?

センター試験は、やっぱり雪でした。

多くの人が気がついている事実。

なぜかセンター試験の日は、大雪になる。

街でも、そんな話をしている人がたくさんいる。

受験生にとっては、交通が乱れ、

勘弁してほしいだろう。

 

自分の経験からしても、

現役のとき北海道の大学を受験したとき、

都会用の軟弱長靴で行ったため、

会場に着いてからも足が冷えすぎて、

もう痛いわけで、それがなかなか

元に戻らなかったのでした。

 

問題も難しかったのですが、

試験に集中できず、

もうどうでもいいや、と

思ったものでした。

ま、足が寒さで痛くならなくても、

多分、問題はわからなかったと思いますが。

当然、不合格。浪人です。

きょうも、全国的に、雪のようですが、

受験生の、みなさん、

悔いのないよう、雪なんかに負けず、

がんばってください!

 

 



12人によろこんでほしい。

縁あって、昨夜、ある学校で、

お話をさせていただく機会をいただきました。

メンバーは、12人。

コピーの話、伝える言葉の話。

その12人の方々が、

来てよかったなぁ、

とおもっていただけたらと思って、

がんばって話をしました。

どうだったでしょうか。

大切な時間とお金を使って、

がっかりはしてほしくないですからね^^

 

 

SMAPとか

SMAPのこととか、

紅白のこととか、

安倍首相のハワイ真珠湾のこととか、

ここ数日、いろいろですが、

ことしもあと2日なわけで、

来年は、すぐにやってくるわけで、

いいとしにしたいなあ、と願います。

あしたは、やること多いですが、

膝をやってしまったので、

戦力外の大晦日になります。

 

 

 

 

 

 

膝、やりました…

やりました…膝…

急に、走りだしたとき、

何かに右足がのって、

カクッとなりました。

痛みが、走りました。

やっちまったな、と。

けっこう、痛いです。

歩くと、膝が痛いです。

安静にするべきでしょうが、

仕事があります。

ああ、痛い…

 

父がつくった牛すじカレー

子供のころの話です。私が小学生の低学年。そのころ、母は、喘息で、病弱でした。寝込むことは、あまりありませんでしたが、軽い発作はときどき起こしていました。

その日の夕方も、いつものような発作だと思っていました。でも、様子が、違いました。毎晩遅くまで仕事の父が、すぐに帰ってきました。父は、付き添いで、母と病院へ。私は、姉と家で留守番です。母の病気への不安、親がいないという不安、夜という不安。その不安たちと戦うためにテレビを見つづけました。

父が、帰ってきました。母さんは、大丈夫。ただ、念のため、今夜は入院だ。ほっとして、でも、帰ってこないのが、さみしくて。でも、じつは、おなかが、へっていて。でも、言えなくて。それを、察したのか、父は台所に立ちました。普段は料理をしない父が、もくもくと料理をはじめました。

しばらくすると、何をつくっているのか、私にもわかりました。そうなんです、カレーです。炊きたての白いごはんも、うれしかった。カレーライスを食べながら、いつのまにか不安は消えていました。

人生のなかで、父が作ってくれた料理は、このときのカレーだけです。どんなカレーかといえば、牛すじカレーです。なぜ父は、このカレーを作ったのか、作れたのかは、わかりません。亡くなったいまでは、聞くこともできません。ただ、ものすごくおいしいカレーだったことだけは確かです。あの、牛すじカレーを、もう一度、食べたいです。