コピーライター花岡邦彦

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反抗期がなかった男。

   兄妹は姉が1人、弟が1人います。小学校の4年生までは友だちは全くいなくて、5年生になって、少し友だちができました。元々友だちはあまり多くなくて、休み時間も、校庭で遊ぶこともせず、教室でじっとしているようなおとなしい子どもでした。2つ上の姉は勉強も体育も絵も得意で、何をやっても敵わなかったので、逆らうなどありえません。ただ僕が電車の絵を書くと母がとてもうれしそうで、それがうれしくて、物を作ることが好きになりました。


 何となく鉄道はいいなあ絵はいいなあという気持ちはありましたが、すごく主体性のない子どもだったので、そんな気持ちをあまり出すことはありませんでした。夢らしい夢がなかったので、「将来の夢」という作文を書かされることも嫌でした。小学校で将来を語るのってどうなんでしょうか。日本代表になるような人たちは、小学校のときから具体的な夢を作文に書いたりしていますが、当時は将来の夢がない自分はいけないのかなと思っていました。


 将来の夢を持っている友だちがまぶしくて。大きな夢がある友だちがうらやましくて。夢のない自分はよくないという思いはずっとありました。コドモゴコロに、いつかは決めなくてはいけないけれど、自分に自信がなかったので、わかりませんでした。中学生になっても、それは変わりませんでした。


 高校受験の時も、姉はその地域で1番の進学校へ行っていたので、もちろんそこは無理だったので、偏差値を見て、そこなら行けるんじゃないかと言われたからそこに行く、という感じでした。願書を出しに行く日までその高校のこと、場所ぐらいしか知りませんでした。


 落ちこぼれるでもなく、問題を起こすでもない。影の薄い子どもだったと思います。親を困らせることはほぼしませんでした。反抗期がなかったんです。
 小中と反抗期がない。決定的な反抗期はありませんでした。これはまずいだろうと自分でも感じていました。自分のなかで反抗する理由がないんです。ただ、高校生のときは、同級生とのつきあい上、ちょっと悪いこともしましたが、反抗する気持ちからではありませんでした。でも、そのうちとんでもないことになるんじゃないかと、恐かったことは覚えています。


   少し変わりだしたのは、高校からでした。私が高校生だったころの母校新宿高校の通学路には、ラブホはあるは、ソープはあるはで、とてもふつうの16才や17才が歩いていい道ではありませんでした。いまその道は髙島屋の前のおしゃれな道となりましたが…笑


    朝、早く学校へ行くときには、通学路でいろんな大人の朝帰りに会いました。よくソープのおねえさんが、ちゃんと勉強するんだよ、と2階の窓から励ましてくれたりしたこともありました。住宅街の中学から来た私にとっては、日本一ぐちゃぐちゃの街にある高校での体験は、びっくりすることばかり。

 

   新宿駅南口を出て学校へ行くのですが、大きな階段を下りたら、学校は右へ、左は紀伊国屋書店への道。よく僕は左へ。僕らは勝手に、新宿高校通りと呼んでいたその道は、雀荘、エロ映画館、パチンコ屋、ピンサロ、いかがわしい飲み屋など、かなり刺激的。

 

   そのころの新宿駅南口は、いまのような健康的な場所ではなく、東口とか西口とかのようなメジャーでもなく、ただひっそりと裏出口のような存在で、朝鮮高校と国士舘高校がガチでタイマンはっていた所でもあって、夜になるといろんな職種の方々が立っていらっしゃいました。

 

   新宿駅から徒歩4分ほどにある学校の場所が場所だけに、ほんとにヤバくて面白かった。愛すべきダメなおじさんたちから、いろいろ教えてもらった。勉強はしすぎると、バカになるぞ。そう教えてくれた前歯が全部無いゲンさん。酒は生きてくためのツマミだ。とヘロヘロで教えてくれた三郎さん。人間は、バカで、ダメで、でもカワイイいきものなんだと、高校生のときに教えてもらったのでした。

 

  日本一の缶蹴り遊びもしたなあ。新宿高校は、低い塀を隔てて新宿御苑と隣り合わせです。御苑は、天皇陛下や首相がお花見などでいらっしゃる由緒正しきところ。江戸時代は信濃高遠藩内藤家の下屋敷。だから住所は内藤町新宿高校は大正時代に新宿御苑から土地を譲ってもらって開校したという歴史があって、なにかと縁があるわけなのですね。

 

   その御苑は、たしか環境省の管轄。だからかなのか午後4時半に閉まるのですが、夏だとまだまだ明るい。5時には人がいなくなり、緑だらけの森になります。高校生の僕らにとっては、でっかい遊び場。先輩から続いている名物塀の乗り越え。新宿御苑ぜんぶを使った缶けりの始まりです。見回りのおじさんにみつからないように。たまに見つかり本気の鬼ごっこもやりましたが、缶蹴りの鬼になったら地獄です。あの広くて木々の深い新宿の森の中に隠れられたら、簡単には見つかりません。鬼を置いて学校にみんなで帰ることも。日本一の缶蹴り遊び、いや世界一の缶蹴り遊び。大人たちには見つかれば叱られたでしょうが、僕らにとっては、バカバカしくて、くだらなくて、めちゃくちゃ楽しかった。

 

   学校のとなりの新宿御苑だけじゃなく、神宮外苑の国立競技場も近くて、意外と緑いっぱいの環境でもあったのですが、あの新宿二丁目もとなりなわけで、緑とピンクが隣り合わせ(笑)。

 

   歌舞伎町やゴールデン街も歩いて3、4分。 土曜日にお世話になっていた場外馬券売場、お昼を買いに行った伊勢丹、授業をサボって映画館、テストの打上げでお世話になった中華の石の屋も、学校からすぐでしたから、なかなかドキドキの高校生活でした。毎日小さいことから大きい出来事まであった3年間。大人にほめられることは、ぜんぜんなかったけど、そのことをこれから書いて残しておけば、貴重な新宿の資料になるかなぁ。ならないか。そりゃそうだ(笑)