コピーライター花岡邦彦

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1月17日の出来事。

1月17日。阪神淡路大震災。そのときのことを思い出す。テレビを朝つけた瞬間、目を疑った。映画のようなシーン。大地震の被害。なんだこりゃ。頭がついていかない。何が起きた?少し時間が経って、ようやく関西で大地震が起きたことを理解した。すぐに思ったことは、大阪で働いていた友人のことだ。彼らは大丈夫だろうか。家は確か神戸だった。電話をしてみた。通じない。何度かけ直しても、通じない。関西方面の電話は不通になっていた。ケータイが今のように普及していない時代だ。スマホは生まれていない。情報はテレビだけだ。ニュースは、どんどん被害が大きくなっている景色を映し出している。午後になって電話が通じ始めた。友人の勤めている会社に電話をした。友人ふたりは、同じ会社だった。親切に、その会社は対応してくれた。いま社員の安否を確認していますと。折り返しお電話しますと。よろしくお願いします。そうお礼をいって待った。しばらくすると連絡があった。友人のひとりは無事を確認できた。もうひとりが、連絡がとれないとのことだ。連絡がとれたら、お知らせしますと言ってくれた。感謝の気持ちをつたえ、電話を切った。友人の無事を確認できたのは、数日後だった。マンションが被災して、住めなくなり、親戚の家に身を寄せていたらしい。震災から1週間後、私は、西ノ宮にいた。西ノ宮に本社がある会社に、プレゼンへ行ったのだ。プレゼンの日は、1か月前から決まっていたが、震災があり、中止になる流れだったが、お得意との協議の結果、決行することになった。なぜそう決めたのかは、もう記憶が曖昧になっているが、こういうときこそ仕事をするべきだとのことだった気がする。その会社が、生活に絶対必要なものを提供している会社だったからだろう。当日、東京駅から新幹線に乗り、新大阪へ向かった。新大阪に降り立つと、そこは、今までの新大阪と何も変わらなかった。本当に大地震が関西で起きたのだろうか。嘘だったんじゃないか。そう錯覚してしまう感じだったことを思い出した。電車を乗り継ぎ、西ノ宮へ向かった。少しづつ少しづつ、地震がほんとうに起きたんだとわかり始めた。西ノ宮駅に着くと、もうダメだ。その被害の大きさに心臓がバクバクし始めた。10階建てほどのビルが真ん中からVの字のように潰れている。斜めに傾いているビルもある。映画のセットなんじゃないかと思った。これ、嘘だよね。本当じゃないよね。そう呟いた。そのビルたちのそばを人が歩いている。何かが麻痺しているのかもしれない。目の前の危険に感じなくなっているのかも知れない。予定通り、プレゼンをした。不思議な体験だった。なんとなく、プレゼンを受けるほうも、するほうも、ふわふわしていた。結局、その仕事は実現しなかった。しばらくは、生きていくことで、いっぱいいっぱいだったからか。あたりまえといえば、あたりまえか。仕切りなおしになった。東京に帰ると、震災はメディアの中だけの出来事になった。西ノ宮で見たあの風景は、夢だったんじゃないかとおもった。いまでも、その感覚は少しカラダに残っている。もう何年も経っているのにだ。