送別会だよ!全員集合

きょうは、フリーランスになるまでいた会社の後輩の送別会です。早期退職というやつです。彼はもともとデザイナーでした。けっこう一緒に仕事もしたしね。ここ数年はデザインの仕事はお休みしてましたが。飲むのが好きな男で、なのにそんなに強くないから、ベロベロになる。伝説はいろいろあります笑。毎日、一緒に飲んでいた時期もあります。この先は、デザイナーにもどるわけでもなさそうですが、どうするんでしょうか。どちらにしても、もうすぐ卒業です。

ああ、ヤダヤダ。

ブログだと、

つい、うまく書こう、上手に書こう、と思ってしまい、

肩に力が入ってしまい、あんまり面白い文にならないことが多い。

広告のコピーなら、ターゲットはどうだ、競合はどうだ、

時代はどうだ、などとマーケティング的に分析した上で、

コピーを書いたりするわけですが、

そうやって生まれた言葉が、どれほど

ひとのこころを動かすのかと言えば、

ほとんどは、どーでもいいような言葉の羅列になってしまい、

世の中に必要とされない言葉になってしまうわけですね。

ああ、ヤダヤダ。

介護はつらいよ

家族の中に

介護が必要な人間が誕生すると、

生活は一変する。

 

いままで目に入らなかったニュースや言葉が、

急にバンバン飛び込んでくる。

 

介護家族としてやるべきことが、

ハンパなく多くなります。

 

わからないことばかり。

横文字のオンパレード。

ソーシャルワーカー

ケアマネ?

 

倒れた本人が

いちばんつらいのはわかります。

 

でも、家族もつらいよ、です。

看病できる幸せもあるでしょう。

とつぜん、死なれてしまったら、

こころがついていけない。

 

まいにち、ゆれる日々です。

 

 

 

 

 

コピーライターのワカゾーだったころ。

金曜日の夜、若い頃にお世話になっていた広告会社の、先輩方との飲み会があった。ミニ同窓会とでもいう感じの集まりだった。その会社は、小さいけれど、個性的だった。全社員の3分の1がクリエイティブだった。コピーライターもデザイナーも、優秀な人が多かった。OBには、いま広告業界を代表するクリエイターがいる。名前を出せば、業界の人ならだれでも知っている方たちだ。その会社は、学校のようだった。いい意味で、サラリーマンではなかった。夜中まで、制作に没頭した。いまなら、労働基準局から指導が入るレベルだろう。仕事を切り上げるのは、深夜の0時過ぎ。最終で帰れるのに、帰らない。そこから、飲みに行く。そこで、広告クリエイティブの話を熱くする。おたがいにダメ出しもする。毎晩、それが繰り返される。飲んで、語って、飲んで、語る。クリエイティブの未来。給料は安かった。でも、毎晩、飲んだ。そうすることが、いいクリエイティブにつながるんだと信じていた。ダメな人間かもしれないけど、魅力的な仲間だった。

コピーライターは、どこにいる?

コピーライターは、
いったい、どこにいるのか。

友だちにコピーライターがいる人は、
そんなにはいないんじゃないか。
コピーライターという職業があることは、
ほとんどの大人は知っているはず。
でも、コピーライターを、見たことがない。

全国で、どのくらい、
コピーライターはいるのだろうか。

東京コピーライターズクラブという組織がある。
通称TCCとよばれているが、
ここの会員はおよそ900名。

毎年4月にTCC賞が決まる。
全て応募制だが、
その賞のなかに新人賞部門がある。
受賞者は約20人。
この受賞者たちだけが
TCCに入会できる資格があるわけだ。

新人賞は応募は2000人ぐらいか。
約10倍。
この数字は厳しいのかどうかは
よくわからないが、
少なくとも、
2000人以上のコピーライターが
全国にいることは事実だ。

TCCに全く興味がないコピーライターもいるだろう。
そう考えると、
会員900人、新人賞応募者2000人
興味がない人が応募者と同じぐらいと仮定すると、
900+2000+2000=4900
約5000人以上は
コピーライターがいるんじゃないでしょうか。
感覚的には、もっといる気がしますが。

一県あたり、約100人。
首都圏に半分いるとしたら、
他の道府県に2500人。
大阪名古屋にその半分いるとすると
他の道県に約1300人になる。
となると、
1県あたり30人ちょっと。

これは、めったに会わないわけですね。